法律学科
准教授 佐藤結美
このコラムを読んでくださっているのは受験生が多いと思いますが、皆さんの通う学校で管理されている個人情報が何者かによって盗み出されていたとしたら、どう感じるでしょうか。盗まれた個人情報には学校の成績や課外活動の状況、名前、住所、電話番号、更に家族構成など、皆さんの学校生活や個人に関する様々なものが含まれているとすると、情報を入手した人が塾や予備校に情報を売っていたり、あるいはストーカーなどの犯罪に利用されたりするかもしれません。そう考えると、自分の個人情報を盗んだり無断で提供したりする人を処罰してほしいと思うことはないでしょうか。
他人のお金やカバンなどを盗んだ場合には、窃盗罪(刑法235条)が成立しますが、では、他人のUSBなどに入っている情報を盗み見たり、自分のUSBに保存したりした場合には、窃盗罪は成立するのでしょうか。「情報を盗んだ」と言えそうですが、結論から言いますと、このような場合には窃盗罪は成立しません。窃盗罪は他人の「財物」という有体物(固体・液体・気体)を盗む犯罪であって、情報そのものは有体物ではないことから、「財物」に当たらないからです(情報の入っている書類やUSBなどの記録媒体を盗んだのであれば、書類や記録媒体が「財物」に該当するので窃盗罪が成立します)。
情報そのものを盗んでも処罰されないとなると、企業や学校などで管理している個人情報を(記録媒体ごとではなく)不正に取得したり、誰かに漏らしたり売却したりしたとしてもおとがめなしということになりそうです。
実際に、2014年には、ベネッセコーポレーションが顧客情報のデータベースの保存・管理を委託していた会社の派遣社員がデータベースを不正にコピーして名簿業者に売却するという事件(ベネッセ事件)が発生していますが、刑法の窃盗罪で処罰できないのみならず、該当する処罰規定が存在しなかったので、個人情報保護法でも処罰することができませんでした。結局、盗まれた顧客情報のデータは「営業秘密」に該当することから、「不正競争防止法」(例えば他社のブランドや商品を不当に模倣したり、商品の生産や販売に役立つ情報を不正に入手するような行為を禁止)に違反したとして処罰されることとなったのですが、「営業秘密」に該当しない個人情報を盗んだとしても不正競争防止法で処罰できず、いわば「法律の抜け穴」が生じることになります。情報が「営業秘密」といえるためには、①秘密として管理されていること、②事業に有用な技術上または営業上の情報であること、③公然と知られていないことの3つを満たす必要がありますので、学校で管理されている生徒の個人情報は②の条件を満たさないことから、「営業秘密」には当てはまらず、冒頭の事例はまさに「法律の抜け穴」となってしまいます。
このような事態を打開するために、2015年に個人情報保護法が改正され、個人情報取扱事業者等が業務に関して取り扱った個人情報データベース等を、自己若しくは第三者の不正な利益を図る目的で提供または盗用した場合には1年以下の懲役または50万円以下の罰金に処されるという「個人情報データベース等提供罪」(個人情報保護法83条)が新設されました。
「個人情報データベース等」は、個人情報を含む情報の集合物であって、個人情報を検索できるように体系化されたものです。電子メールソフトに保管されているアドレス帳などの他に、手書きで整理されたものであっても個人情報を検索できるようになっているものがこれに当たります。データベースに含まれる個人情報の数が多く、特定の個人を容易に検索できることから、個人情報そのものではなく「個人情報データベース等」が保護の対象となっているのですが、個人情報そのものが不正取得された場合には処罰の対象とならないのは法改正後も同じです。
また、個人情報保護法83条では個人情報データベース等を「提供」または「盗用」する行為のみが処罰の対象となります。「提供」とは、他人が利用できる状態に置くことであり、「盗用」とは盗み利用することですが、個人情報データベース等を第三者に売却する行為が「提供」や「盗用」に含まれるかどうかは定かではありません(実際に83条が適用・処罰された事例がまだ見当たらないからです)。個人情報の売却は悪質な行為といえますので、(営業秘密に該当しないので不正競争防止法で保護できない)個人情報データベース等を不正取得した後に売却した場合に現行法では処罰されないとすれば、少々不思議ではないでしょうか。また、売却は「提供」や「盗用」に含まれるとするのが83条の趣旨だとすれば、売却を「提供」や「盗用」と同じ刑の重さで処罰してよいのかも疑問です。
「個人情報データベース等提供罪」はまだ新設されたばかりであり、個人情報保護という新しい法領域はこれからも議論の余地のある分野なので、さらなる改正が行われる可能性があります。個人情報保護に限らず、社会問題との関係において、法律はどうしても後追いになってしまうのですが、国民の利益を保護するために、刑罰はどう立法されるべきなのかということは、今後も検討すべき問題であると思います。