上智大学法学部 Sophia University Faculty of Law

英国のEU離脱(ブレクジット)が国際関係にもたらす意味

国際関係法学科
教授 岡部みどり

 2016年6月23日、英国が欧州連合(The European Union. 略して EU)にとどまるべきかどうかを問う国民投票が行われました。結果は、離脱票が約52%、残留票が約48%で、僅差で離脱派が勝利しました。これに基づき、英国はEUからの離脱に向けて法的手続きを進める段階に入りました。この現象は、イギリス(Great Britain)が欧州連合から出て行く(exit)、という意味の造語で、ブレグジット(Brexit)と呼ばれています。

 実は、英国が欧州統合の枠組みから離脱するかどうか、という国民投票が行われたのは2016年が最初ではありません。一般に、欧州統合のはじまりは1952年に正式に発足した欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)に端を発すると言われていますが、英国はこの発足時からの加盟国ではありませんでした。英国が欧州統合プロジェクトに参加したのは、EUの前身である欧州経済共同体(EEC)に加盟した1973年のことです。その2年後の1975年に英国はEECにとどまるべきかを問う国民投票を行っています。

 当時は、残留派が離脱派を上回り、7割近くの英国国民が残留を望みました。もっとも、これは多くの国民による圧倒的支持ということではありませんでした。冷戦時代、英国は、対立的な関係にある米ソ両陣営の間に位置するヨーロッパが、ソ連が主導する共産主義圏への「砦」として機能するべきだと主張してきました。しかしながら、英国は現在のEUが目指す統合のあり方には常に反対の意を唱えてきたのです。英国は、欧州における国際協力の枠組みは必要だとしながらも、それが極度に発展し、英国の国家としての政治経済的独立性や外交上の主体性を制限するような枠組み(専門用語では「超国家主体(supranational actor)」と呼びます)を生むことに終始反対してきました。そのため、英国はEECに加盟後も「厄介なパートナー」として存在し続けました。

 なぜ厄介だったのか?それは、欧州統合を少しでも前に進めたいと考えているフランスやドイツ、ベネルクス諸国などの大陸ヨーロッパ諸国にしてみれば、できる限り協力枠組みを緩いものにしようとする英国の存在は、統合の進展に常にブレーキをかける存在に映ったからかもしれません。しかし、英国は、歴史的、文化的にゆかりのある米国との結びつきを強固なままで保ちたいという、そして、英国の植民地であったインドや南アフリカ、その他のアフリカ、アジア太平洋諸国との関係を良好に保っておきたいという思惑がありました。そのため、大陸ヨーロッパ諸国との関係が過度に親密になり、その裏返しとして、これらの欧州以外の国々との外交関係において自由な裁量が発揮できない状態に陥ることは、英国が最も恐れていたことでした。

 そのために、英国は単一通貨であるユーロや、域内を誰でも自由に移動できる空間である「シェンゲン圏」への参加を頑なに拒否したのです。そして、今般のEU離脱の決定は、確かに右翼政党の政治的躍進はある程度ありましたが、ポピュリスト政権による移民排斥運動の結末というよりも、むしろ、このような「進みすぎた」欧州統合への英国民の反発だったと言えるでしょう。よくブレグジットは主にEU市民である東欧からの移民の増加が原因で起こったと言われますが、これはただの言い訳に過ぎなかったのです。その根底には、EUという国際協力枠組みの運営方法に対する強い反発があったのです。

 一般に、国と国が協力する枠組みが戦争の危険を減じさせるとかんがえられていますが、いきなり世界規模での枠組みを発展させることは難しく、地域レベルでの国家間協力枠組み、つまり地域統合は、経過的な手段としても有用視されています。しかし、今回の英国とEUの経験から分かることは、地域統合と一口に言っても、地域、時代背景、どの国が参加しているかによって、運営の方法はさまざまだということです。今後、仮に、他の地域統合体、例えば、東南アジア諸国連合(ASEAN)やアフリカ連合(AU)などからの加盟国の脱退があったとしても、そこに至るまでのプロセスも、その波及効果も、全く異なるということです。そういう意味で、国際的な政治関係を歴史や地域の事情と組み合わせて理解することが重要だといえます。

 また、脱退することの世界政治や秩序に与えるインパクトについても、冷静な判断が必要です。そもそも、EUは地域規模ではありますが、国際協力枠組みという意味では国連などの国際組織と同じです。そして、国際協力枠組みにひとたび参入した国が、その枠組みから離脱するということは、往々にしてショッキングなニュースとして語られがちです。それが、敵対的で世界を混乱に導くような離脱なのかどうかは、離脱後の国家を迎え入れるような補完的な国際協力枠組みがあるかどうかによって異なります。私たちが注目すべきは、英国がEUからどのように平和裏に離脱するか、ということに加えて、EU加盟国ではなくなる英国が世界の他の国々とどのように安定的な協力体制を構築するか、ということなのです。